今日で祭りから1週間。先週の賑やかさがまるで嘘のようで、辺りはすっかり静まり返っています。
最近またここいらへんのお祭りを見たのですが、去年と同じようにみ組と馬場車は、他の浅羽の祭りの祢里と会ってたみたいです。


てっきり去年だけの1回限りだと思っていたのですが、どうやら土曜日の朝にこうして集まるのは、お約束みたいです。
もし本当にお約束だったとしたら、いつからこうして集まるようになったんだろう?今の僕には分かりません。
チャンスがあれば、僕も実際に観てみたいです。
しかし長栄車や浅圓車も、出来れば我が芝八幡神社祭典の仲間入りを、是非果たしてほしいですね。
せっかく、こうして会う事も出来ますし、それに浅羽のお祭りで祢里が沢山ある所と言ったら、調べてみたら家らの所だけらしいですからね…。
1台や2台じゃ寂しいですし、お祭りなら大勢いる方が楽しいですよ。
神社が違うという大人の事情もあって、中々難しいかもしれませんが、せめて面識のある長栄車や浅圓車だけでも、仲間になってほしいなぁ…。そうすれば13台になって、本家と同じ数になるのに。
長栄車については、動画がありましたので、もし良ければどうぞ↓

長栄車の動く所は初めて見ましたが、太鼓の音が綺麗です。本家に近いですね。
それとこのページの下から2枚目の写真に、僕が映っていました。
一番左側にいて、ビデオカメラで撮っているのが僕で、その隣にいる紫色の服を来た人が、僕の母親です。まさか写るとは思わなかった(笑)。
Aくんというのは、おそらく僕の名前である、asabatyouの略でしょう。
最後になりますが、あ組1号について書きたい事がありますので、それをやりたいと思います。
darkさん曰く、今の1号車は「他の祢里に比べて重すぎるから早く変えたいと言う声が多い」、「出し人形が決まるとしたら、多分祢里自体を新調する時」との事です。
もしあ組1号に決まった出し人形を付けるとしたら、何が似合うでしょうか?
僕は西田町と同じように、鞍馬山にするのはどうかと思います。
これはかなり小さかった頃、初めてあ組を見た時(多分)、出し人形が鞍馬山だったからというのもありますが、(西田町の鞍馬山と違い、通常の天狗はおらず、牛若丸=源義経を教えている天狗が鴉天狗だった。これは天狗といったら昔は鴉天狗が主流で、通常の鼻の長い天狗は近代に入ってから主流になったもので、そういう意味では事実に忠実と言えるだろう)何となくあ組1号のイメージに合っている感じがするからです。ここでも同じような事を書きましたが(笑)。
あるいは原点に戻るという意味を込めて、初めて二見ヶ浦以外の出し人形にした時の物にするのも、面白いかもしれません(その時の出し人形が、何かは知らないけど)。

2007年の時の、集合写真です。
この時は五条大橋でしたね(東田町と一緒だ)。


画像は、全てここいらへんのお祭りからの流用。
参考は烏天狗 - Wikipedia