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今日はウル魔を読みましたので、その事を書こうと思います。
激しく続いたワルドとカリーヌの戦い。
死闘の末ワルドを倒したカリーヌであったが、ワルドに取り付いている何かは健在で、次元の裂け目の中へ逃げて行った。
だがまだサタンモアが残っており、次々と人々に襲いかかるが、ワルドを倒す事で力を使い果たしてしまったカリーヌは、それを止める事が出来なかった。
才人とルイズはウルトラマンエースとなって、サタンモアを簡単に撃破したが、出てきてまだ時間がほんの少ししか経っていないのに、時空間でのコッヴとの戦いがまだ尾を引いた為、満足な回復が出来ず、すぐに消えてしまった…。
だがこの時、エースの命を狙っている者が、すぐ近くにいた…。
今回はエースが久々に登場しました(とは言っても、すぐに消えてしまったのですが…)。
このエピソードの事で思った事ですが、ウル魔ではウルトラマン達の出番が殆どない事が分かりました。
それはウルトラシリーズと違って、完全に人間ドラマやストーリー中心で描かれている事、あるいはウルトラマンなしでも解決出来る事件が大半ではないかと思います。
これは作中の台詞でもありましたが、「無条件で助けてくれるということではないこと」「人間の力ではどうしようもない敵が現れたときにだけ登場し、人間同士の戦いには一切登場しない事」「才人もルイズもウルトラマンの力は私的に乱用することは危険すぎると、なかば本能的に知って心にブレーキをかけている」が一番の理由ではないかと思います。
要するに自分の事は、自分で何とかしろという事になりますね。
でも、こういう所がヒーローらしくて良いんじゃないかと思います。
ポパイやキャプテン・アメリカといったアメリカのヒーローキャラは、戦争中だった時は完全に戦争の道具にされ、ポパイが日本軍をぶっ飛ばしている絵や映像が作られたり、キャプテン・アメリカがドイツ軍に向かって、銃で攻撃している絵があったりしました。
初めてこれを見たり知った時は、ちょっとショックでしたね…。
戦争に善も悪も無く、ただの殺し合いに過ぎませんから、そこにヒーローを持ってこないでほしいとね…。
国を守る為とはいえ、お前も所詮人殺しじゃねぇかと…。
ヒーローを戦争に巻き込むのは、流石にやってはいけないでしょう。
その点、日本ではこういう事がありませんので、安心出来たりします。
ヒーローは悪を倒すからこそヒーローなのであって、戦争で敵国の人間を殺す事は、ただの殺人鬼ですから…。
もしヒーロー物の作品に戦争の要素を入れるとしたら、「もののけ姫」のアシタカみたいに、主人公は決してどちらの味方というわけでもなく、両者の間に割って入る存在として描いてほしいと思いますね。
画像は壁紙すたいる −アニメ壁紙−から。
画像はおさらい等大怪獣バトルから。
しかしベロクロンってデカイな…。
ウルトラマンエースの頭1つ分くらいデカイだろう。
次はウル魔をもしアニメ化したら…の演出を考えてみました。
ウル魔はファンタジーでもあり、ヒーロー物でもありますから、やはりダイナミックな演出が良いと思います。
オープニングの映像はどうするかについてですが、バトル系の作品である為、主人公達と戦う敵だけがズラリと並んでいるカットは是非あった方が良いですね!
こういうシーンがあった方が雰囲気が出ますし、絶対に盛り上がりますよ!!
ここにそういうシーンがあります↓
もしウルトラマンで例えたら、こんな感じになるでしょう。
「YAT安心!宇宙旅行」も音楽はともかく、OPの演出が中々ウル魔のイメージや雰囲気に合っているのではないかと思います。
この何処かドタバタした雰囲気がね(笑)↓
エンディングの演出についてですが、これは基本的に静止画の方が良いと合っていると思いました。
これは基本的にどのアニメのEDも同じですが、OPとの差別化を出す為、または終わりだけどまた新しい物語を始まる、きっとそれを表現しているのでしょう。
これは良いんじゃないかな?と思ったのは、以下の通りです↓
全体的に映像を観た限りでは、「YAT安心!宇宙旅行」の方が合っている気がしますが、「幽☆遊☆白書」のEDの56秒辺りに出て来る映像と、一番最後に出て来る映像は、ウル魔にも合っていると思いました。
才人やルイズがカメラの方に向かって歩いているそのバックで、ヤプールなどの敵キャラ達の姿が出てきたり、才人とルイズが2人っきりで夜空の星を観ているシーンがあったら、面白いかもしれません。
今回は今までとは異なり、合っている曲の紹介ではなく、映像の作りを重視しました。
ウルトラ5番目の使い魔がアニメ化される事はないと思いますが、もしアニメ化されたらという事を想像するのは、実に楽しいですね。
ウルトラ5番目の使い魔 第83話「双月に抱かれた星(前編)」は、これ。