本日は祭りが終わった後、ここいらへんのお祭りを見たのですが、それで色々と昔の事を思い出しましたので、それを書いていこうと思います。
今でこそ芝八幡神社大祭は、本家三熊野神社例大祭を意識した作りになっていますが、僕が小学生だった頃(いわゆる1990年代)は、今とはまるで別物でした。
まず、かなりおもちゃっぽいけど、子供専用の四輪屋台がいた事(こんな奴)です。
確か最終日の昼間で、祢里が神社に集まる時、出入り口の隅っこにいました。
90年代の終わり頃から姿を消しましたが、もうどうなっているのかな?
次は掛け声です。
昔は本家と同じように「した、した」だけでなく、「練れ、練れ、もっと練れ、元気出せ」みたいな、思わず何じゃこりゃというか、この祭りに合ってない掛け声がありました(子供のみ、その掛け声を出していた)。
あの掛け声が嫌いで、口に出すのが嫌だったな(笑)。
格好についても、何だか白い肉じばん(?)みたいな物を着ている人がいました。
また僕は覚えていない事ですが、山栄車は今でこそ一本柱万度型の姿ですが、昔は袋井の祭りや森町の祭りみたいな姿をしていたそうです。
1989年にデビューし、1994年までその姿だったらしいですが、今のイメージが強すぎて、どうも記憶にありません。
後はホイッスルを「ピーピッピ」と鳴らしていた事や、全部ではありませんが、夜の時下の花を巻かずに、昼の時と同じで垂らしたままで、おまけに動くクリスマスツリーみたいに、かなり派手に光らせていた事もありました。
いや〜こうして過去を思い出すと、本当に変わったなと思います。
今はもうすっかりまともになったから、こういう悪い意味でのB級臭さは、希薄になっています。
メンバーも変わり、かつての子供達で今でも残っているのは、僕だけとなってしまいました(笑)。
後のみんなはもう何処で何をやっているのか、全然分かりません(笑)。
最後になりますが、この記事で十二社が写っている写真について、1994年か5年ぐらいと書きましたが、これは間違いで十二社の活動期間は1983年から1992年まででした。
一番右側にいる天王車が、1988年に初登場した事を考えますと(東栄車より年上だった…)、多分1989年から1992年までの出来事だと思います。



1991年の時の写真です。
基本的には一本柱万度型の物がメインですが、当時は袋井や森町を思わせる屋台(御所車型というらしい)もいて、あまり統一感はありませんでした。


それとおまけになりますが、他のブログでこの祭りを扱ったものがありましたので、もし良ければどうぞ→終演-2 - おやび〜んの秘密のアジトゴルフ・お祭り日記お祭り2日目のあっちこっち−その2−生まれ変わってもここ横須賀に…


参考:ここいらへんのお祭り(画像も、ここからの流用)、静 岡 県